师父法语

Words of Wisdom

我们学佛法,不是要让我们的后世生活过得更好,也不是让我们后世不要堕地狱,后世升天,后世当一个很有出息的人,当一个社会上面很有地位的人……不是这么一回事,这种的动机和意乐都是不对的。我们学佛法不仅仅要舍弃对现世的贪著,同时也要舍弃对后世生活利乐的一种贪著。

仏法を勉强するのは、来世の生活がもっと豊かになるためとか、あるいは地狱に落ちないためとか、天人に生まれるためとか、また来世で立派の人间になるため、地位を持つ人なるためとか、実はそのようなためではありません。このような动机や意欲は间违っています。仏法を勉强するには今世のこだわりを舍てると同时に、来世に対する生活の豊かさをむさぼることを舍てなければなりません。

我们希望,现世在佛法方面能够用得上功,走得上路,有作为,有成就。更希望我们这种力量、这种习气——修行的习气、学法的习气,能够持续等流下去,让后一生一出生就能够知道学佛法,一出生就能够很容易上路,用得上功,对法领纳的程度越来越纯正、越来越浓厚,体会越来越深刻。

私たちは今世において仏法の修行がうまくいって、轨道に乗り、いつか成果を出して欲しいと愿っています。それだけなく、さらにこの力や习惯(修行の习惯、仏法を学ぶ习惯)が长く続いて欲しいと思っています。来世の时、生まれてすぐに仏法を求めようとしたり、修行が轨道に乗りやすくなったり、仏法に対する理解力がますます纯粋、深刻で、强くなって欲しいです。

对业果的相信,不仅仅是现世的,后世也是如此。我们学佛法为了要成佛,成佛需要很长很长的时间去努力、发心、用功。我们要把长期以来在自己思想当中累积下来的一些错误的思想——对现世和后世生活上的贪著——去掉,把它去得干干净净,佛法才有办法一步一步学得好。

业果を信じるのは现世のことだけでなく、来世のことでもあります。仏になるため仏法を勉强するのです。仏になるには极めて长い年月に努力や発心、そして修行が必要です。长期にわたり积み重ねてきた间违った考え(现世や来世の営みにむさぼること)を取り除いて、一片まで残らず舍て去らなければ、仏法の进歩は难しいです。

下士道谈业果的目的就是为了要对治现世的贪著,中士道就是要对治后世的贪著,三士道里面对这点都有非常清楚的交待。我们在用功的过程当中,很重要的因素就是为了对治贪著,这个是重点问题。

小士(下士)の道に业果を语るのは、现世のこだわりを退治するため、そして中士の道は来世のこだわりを退治するのが目的です。「小士の道」・「中士の道」・「大士の道」という三士道にははっきり书いてあります。修行の过程に重大な问题となるのが欲を退治することで、修行の重要な要因とも言えます。

如果在这些很重点的业果方面,没有思维抉择清楚,业会决定一切,业会增长广大,业所作不亡——业作了以后不会失去,它就决定了你的一切,对业果要深信不疑就在这里。

もしとても重要な业果方面——业が决定しているさま・业の増长が大きいこと・为した业はむだに失われないことを、明确に选択しなければ、まさしく业に定められたことになります。业果を疑いなく信じるのもそのことを指しています。

如果我们没有对现世、后世的这种贪著心的对治,你怎么能够入道?我们所有学的这个道,跟道次第都是不相干的。我们何时认真去思考过,我们怎么样去对治对现世、后世利乐的贪著?

もし私たちは现世や来世のこだわりを退治しないと、入道はできません。勉强したこと全てが无関系となるのです。现世や来世のこだわりをどうすれば退治できるのかについていつ真剣に考えたことがありましたか。

来源:学诚大和尚开示《苦乐人生》

Source: A Life of Cultivation — Transcending

Suffering and Happiness, by Ven. Master Xuecheng

翻译:北京龙泉寺翻译中心

Translated by: Beijing Longquan Monastery Translation Center

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