原標題:喜歡用「やっぱり」的人是一種怎樣的心理?

「やっぱり」を多用する人

經常使用“果然”的人

この「やっぱり」は僕個人として経験したり見てきた中で、緊張して人前で話してる人の話や、自分の意見を述べる際によく聞きます。

根據我個人的經驗,在人前說話非常緊張時,或是在描述自己的意見時,常能聽到“果然”這個詞。

(例1)それは素晴らしい考え方だと思います。やっぱり一流の経営者は普段から○○を意識してるようで、世の中を知るにはやっぱりそういった勉強も必要ですよね。

(例1)我覺得這個想法非常棒。果然一流的經營者平時就會注意○○,想要了解這個世界果然這種學習是必要的。

(例2)すごく良いものだと思います。やっぱりそれがあることで生産性が上がりますし、やっぱり買って良かったなと。

(例2)我覺得這個東西非常好。果然有這個的話就能提高生產量,果然買對了。

このように、根拠もなく「やっぱり」を多用する人は、自分の意見に対して実際にそう思っているのではなく「そう思おうと自身を説得している」ように思います。

我認爲像這樣,毫無根據濫用“果然”的人,通常並不是自己就是這樣認爲,而是“想要說服自己這樣認爲”。

適度に出てくる「やっぱり」「やはり」は相手に自分の話を理解してもらうための手助けになります。しかし上記の例のように多用するのは、100%自分もそうだと確信していない場合が多いんです。経験してないことや実感してないことなら尚更です。でも自分の意見として話している以上、それが正しいと信じたい。だから無意識に何度も「やっぱり」と言って自分自身を納得させ、「そうだ、そうだよな。それってそういう事だよな」と時として自分の思い込みを強固なものにしようとしているんです。

適度使用“果然”可以幫助對方理解自己的話。然而如上例一樣濫用的話,則多是不是百分之百地信任自己。如果是沒有經歷過或有實感的事就更是如此。但因爲這是在表達自己的意見,所以想要相信這就是正確的。因此,無意識地反覆使用“果然”,是爲了讓自己接受自己的意見,“就是這樣,沒錯。就是這麼回事”像這樣不斷鞏固自己的想法。

一方でもう一つの「やっぱり」多用パターン。それは「あまり物事を深く考えていない人」にありがちです。何か意見があるわけじゃなく、誰かの意見を聞いて「やっぱりそうか」と思ったら思考ストップ。

另外,還有另一種濫用“果然”的類型。那就是“沒有深入思考的人”常會這樣做。不持有什麼意見,無論聽了誰的意見都會覺得“果然如此”然後就停止思考了。

一度「やっぱりそうか」を覆す「本當にそうか?」という疑問を持たず、自分以外の意見に流されます。協調性があるというようにもとれますが、いざ「あなたはどう思う?」と聞かれると、「やっぱり、」と話し始める。要は、受け身で人の意見を受け売りするわりに、自己主張は強い傾向にあるタイプです。

一次都不曾對“果然如此”抱有“真的如此嗎?”的疑惑,只會跟隨自己以外的人的意見。雖然也可以說這樣的人具有協調性,但一旦被問到“你是怎麼想的”時,他就會從“果然”開始說起。總而言之,這類型的人就是雖然會被動接受別人的意見,但又對自己的主張有很強的傾向性。

僕が「やっぱり」を多用している時は、どこか他人の意見に受け身になっていて、自分で考える事をおろそかにしていることが多かったです。そのくせ「やっぱり」と思うことで満足してしまい、他人のアドバイスを素直に聞けなかったり…

我連着用“果然”時,常會被動接受別人的意見,自己並不認真思考。但會滿足於自己認爲“果然”的事中,不能坦率地聽進別人的建議。

まとめ

總結

「やっぱり」を多用する:

濫用“果然”:

・緊張して人前で話している人に多い(スピーチや意見発表など)

・在人前講話非常緊張時很常見(如在演講或發表意見時)

・適度に出てくる「やっぱり」「やはり」は相手に自分の話を理解してもらうための手助けになる

・適度使用“果然”可以幫助對方理解自己的話

・自分の意見に対して実際にそう思っているのではなく「そう思おうと自身を説得している」

・並不是自己就是這樣認爲,而是“想要說服自己這樣認爲”。

・100%自分もそうだと確信していない場合が多いが、自分の意見として話している以上、それが正しいと信じたい。

・常常自己也不是完全確信,但因爲這是在表達自己的意見,所以想要相信這就是正確的。

・一方で、あまり物事を深く考えていない人にありがち

・另外,沒有深入思考的人也常會這樣做

・ 受け身で人の意見を受け売りするわりに、自己主張は強い傾向にあるタイプに多い

・多爲雖會被動接受別人的意見,但自我主張又比較強的類型

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